昨晩お会いしましょう

 

 

【公演スケジュール】

 

47会場54公演

1981

    1217  浜松市民会館

    1219  桐生産業文化会館

    1223  名古屋市民会館大ホール

    1226  大阪厚生年金会館大ホール

    1227  大阪厚生年金会館大ホール

    1228  大阪厚生年金会館大ホール

1982

     1 9  神奈川県民ホール 大ホール

     110  神奈川県民ホール 大ホール

     114  群馬市民会館

     116  青森市民会館

     117  秋田県民会館

     119  小田原市民会館大ホール

     126  和歌山市民会館大ホール

     127  神戸文化ホール大ホール

     129  茨城県立県民文化センター大ホール

     131  立川市市民会館大ホール

     2 1  大宮市民会館大ホール

     2 3  山梨県民会館大ホール

     217  松山市民会館大ホール

     218  高松市民会館大ホール

     219  高知県立県民文化ホール オレンジホール

     221  京都会館第一ホール

     224  名古屋市民会館大ホール

     225  名古屋市民会館大ホール

     226  静岡市民文化会館大ホール

     3 2  宮城県民会館大ホール

     3 3  岩手県民会館大ホール

     3 5  郡山市民会館

     3 6  山形県民会館

     3 8  北海道厚生年金会館

     313 福岡サンパレスホール

     315  大分文化会館

     316  熊本市民会館大ホール

     318  姫路文化センター大ホール

     319  奈良県文化会館国際ホール

     322  大阪・フェスティバルホール

     323  富山市公会堂

     324  福井市文化会館

     326  新潟県民会館大ホール

     328  長野市民会館

     329  石川厚生年金会館

     331  茅ケ崎市民文化会館大ホール

     4 2  倉敷市民会館

     4 3  島根県民会館大ホール

     4 5  広島郵便貯金ホール

     4 8  千葉県文化会館大ホール

     4 9  宇都宮市文化会館大ホール

     414  鹿児島県文化センター

     415  宮崎市民会館

     417  長崎市公会堂

     423  NHKホール (追加公演) ※

     424  NHKホール

     425  NHKホール2回公演)※

 

                       ○ 情報はツアープログラムを参考にしました

                                ただし※はFC会報「YUMING vol.1282.4を参考にしています

                 

 

【演奏曲】 

 

カンナ8号線

14番目の月

雪だより / 灼けたアイドル

恋人と来ないで (with 石井治郎)

彼から手をひいて

恋人がサンタクロース

A HAPPY NEW YEAR (弾き語り) / よそゆき顔で (弾き語り)

Pilgrim's Progress  (弾き語り、プロコルハルムの曲)

ひこうき雲   (弾き語り)

守ってあげたい

夕闇をひとり

街角のペシミスト

手のひらの東京タワー

中央フリーウェイ

〜海を見ていた午後

〜グッドラックアンドグッドバイ

〜たぶんあなたはむかえに来ない

〜あの日にかえりたい

〜ベルベット・イースター

〜卒業写真

〜雨のステイション

12月の雨

〜きっと言える

12月の雨

〜恋のスーパー・パラシューター

Esper

(EC)

カンナ8号線

DESTINY

EC

埠頭を渡る風 / 14番目の月

 

                       ○ 情報はFC会報「YUMING vol.13」などを参考にしています
                       
 ※ 東京公演では「夕闇をひとり」の代わりに新曲「DANG DANG」「真珠のピアス」が歌われています

 

 

 

【出演者】

 

Drums: 重田真人
Bass
: 石井治郎
Guitar
: 市川祥治
Keyboards
: 新川博
Chorus
: 鈴木祥子、豊広純子

 

                       ○ 情報はツアープログラムを参考にしています

 

【グッズ】 

 

プログラム……¥1,000

Tシャツ……¥2,000

トレーナー……各¥3,800

(サックス/ホワイト)

スポーツタオル……各¥1,000

(イエロー×サックス / グリーン×オレンジ)

スタッフバッグ……¥1,000

バンダナ……¥800

キーホルダー……¥500

バッジ2種)……各¥200

ステッカー……¥200

 

                       ○ 情報はGB'82.12号に載ったものを参考にしています
                                         
 ※ ツアータイトルが書かれていないためツアー毎に作ってなかったかもしれません。
                                         
    ちなみにロゴは「Yuming」の「Y」の左上がくるっと巻かれたフォントの物

 

 

【主なクレジット】

 

Cast: Masato Shigeta, Jiro Ishii, Shoji Ichikawa, Hiroshi Shinkawa, Yoshiko Suzuki, Sumiko Toyohiro

 

Composition: Masataka Matsutoya

Direction: Akira Kuroda

Stage Arrangement: Hiroshi Shinkawa

Stage Management: Masahito Ohashi, Terunobu Otsuka

Art Direction: Kazunori Higuchi

Lighting Planning: Noboru Yamashita

PA: Yasuo Kawada

Staging: Kumi Nakagawa

Costume design: Sachiko Ito

 

Produced by Kirarasha, Hands

 

                       ○ 情報はツアープログラムを参考にしています

 

 

【チケット料金】

 

東京公演:  S席¥3,000A席¥2,500B席¥2,000

 

 

【メモ】

 

   アルバム「昨晩お会いしましょう」発売と同時期にスタートしたコンサートツアー。

   このツアーより松任谷正隆がコンサートの全体構成を行うように。演出のパートナーとして広告畑からCMのプランニングなどを行っていた黒田明を起用。76年の伊勢丹のCMを担当したのが彼だったそうです。舞台演出について全く経験のなかった黒田氏は自身の得意とするCM照明をステージに持ち込むことを提案、マス目に切られた床が演奏に合わせて明滅する“電飾フロアー”が初登場。どちらかというとこれまでのユーミンのステージは演劇的な演出と大道具で魅せることが主体だったのですが、このツアーより電飾とそのパターンで魅せてゆくステージに変わっていきます。また、921月号の「月刊広告批評」(マドラ)での彼とユーミンの対談によると、彼との仕事はユーミンの作詞面に大きな影響を与えたとのこと。絵コンテを使ってコンサートの演出を説明する様子を見ているうちに、カメラで映像を切り替えていくような作詞方法が身に付いていったそうです。*

   電飾フロアはアクリルで作られた乳白色の床面の中に調光が可能な蛍光灯がしこまれていたようです。見た目にも技術の面でも非常に画期的なものだったようで、彼女のステージの定番になったほか、テレビの歌謡番組の演出へも影響を与えたそうです。ユーミン曰く「絢爛豪華ビリビリの感電ショウ」。実際にステージ上はものすごい静電気で、エンジニアリングとしては電飾制御はもちろん、PA側に流れ込むノイズ対策が大変だったとか。電飾フロアにまつわる余談ですが、当時はユーミンに限らず公演中に観客がプレゼントを渡すということが普通にできたようで、地方では畑で採れた野菜をステージに持ってくるなんてこともあったようです。ユーミンは当時のAM番組で私の美意識で創り上げたステージにあまりにもかけ離れた現実的な物を突然の置かれることが一番腹が立つと怒っていました(笑)時代に先行してトータルで創り込んだステージを行ってたということを示すエピソードの一つではないでしょうか。

   電飾フロア自体も面白いものですが、もう少し抽象的な視点からは「制御」「同期」という発想がコンサートシステムに持ち込まれた点が更に興味深いです。このツアー当時、どのように音楽との同期をとっていたかはわかりませんが、80年代後半あたりにはマスターとなるタイムコードを走らせ、演奏や電飾だけでなく、音源機器や照明、映像、リフター制御などあらゆる装置にこれを分配し、各システムがこのタイムコードを頼りに自動で同期する「マディ・ロッキー・シンクロニステム」に発展してゆきます。また、これもいつから可能になったかは不明ですが、プログラム用のUIとしては鍵盤も使えたようで、正隆氏も正に音楽の打ち込みをするように電飾や照明を打ち込んでいたとか。一時期は「Maddie Rocky Synchronystem Arranger」というクレジットもありました。いつからマディロッキーになったのかは諸説あって松任谷正隆のインタビューでもインタビューごとに違ったりしています。また「シンクロ""ステム」か「シンクロ""ステム」かは最初にクレジットに登場する88年のツアー Synchronystemを参考に「""ステム」を採用しています。これは「synchronize+system」の造語だそうです。ちなみに「マディロッキー」は「瞬ぎ(まじろぎ)」からの造語という説も(笑)

   81年はシングル「守ってあげたい」が松任谷由実になってから初めての大ヒット。新規のファンを迎えるためもあってか前回よりも15公演も多い54公演を4ヶ月半でこなすというかなりハードなスケジュールでした。これ以降、年に1回、約半年かけて60公演近いコンサートツアーを行っていくようになります。

   ゲネプロは1211日に神奈川県綾瀬市の綾瀬市民文化センターで1時間ほどにしぼって行われました。

   現在は廃盤ですが、東京公演は収録されビデオが発売されました。