The 14th Moon 十四番目の月
ユーミン・ファッショナブル・ステージ
【公演スケジュール】
1976年
11月14日 NHKホール
○ 情報はチケット半券より
【演奏曲】
(1部)
翳りゆく部屋
あなただけのもの
雨のステイション
空と海の輝きに向けて
アフリカへ行きたい
雨の街を (弾き語り)
ひこうき雲 (弾き語り)
やさしさに包まれたなら
(2部)
中央フリーウェイ
14番目の月
何もなかったように
天気雨
さざ波
グッド・ラック・アンド・グッド・バイ
花紀行
あの日にかえりたい
私のフランソワーズ
12月の雨
(EC)
コバルト・アワー
恋のスーパーパラシューター
(EC)
晩夏
○ 情報は荒井由実ライヴパンフレット、NHK FM放送などを参考にしました
【出演者】
Guitar: 石川鷹彦、鈴木茂 takahiko ishikawa shigeru suzuki
Bass: 細野晴臣 haruomi hosono
Drums: 林立夫 tatsuo hayashi
Keyboards: 松任谷正隆、永田一郎 masataka matsutoya ichiro nagata l-ton
Percussion: 斉藤ノブ nobu saitoh
Chorus: ヒデ夕樹、瀬尾一三、梅垣達志、梅垣ミト yuki hide ichizo seo tatsushi umegaki mito umegaki
Strings: トマト・ストリングス・オーケストラ tomato strings orchestra
○ 情報はNHK FM放送を参考にしました
【チケット料金】
A¥3,000、B¥2,700、C¥2,500、D¥2,000、E¥1,800。
○ 情報は公演告知フライヤーを参考にしました
【グッズ】
三折りのプログラムが配布されていたようです
○ 情報は現物より確認
【主なクレジット】
構成: 山川啓介 keisuke yamakawa
演出・振付:村田大 Dai Murata
音楽監督: 松任谷正隆
ストリングス編曲: 阿部雅士 masashi abe
美術: 朝倉摂 setsu asakura
照明: 吉井澄雄 Sumio Yoshii
衣装: 前田美保子、竹山公士、荒井由実 koji takeyama Mihoko Maeda
音響: 伊沢俊司 shunji izawa isawa
ヘア: 矢野トシコ toshiko yano
舞台監督: 大橋誠仁 masahito ohashi
制作:嶋田富士彦、安達一博
大道具: NHK美術センター
企画制作: 阿部義弘事務所
後援: 東芝EMI、ベップ出版
○ 情報はプログラムを参考にしました
【メモ】
・ 舞台畑のスタッフを向かえ、弦を入れた豪華20人編成で行われた独身最後のさよならコンサート。NHKホールはパイプオルガンを常設した収容人数3,500人以上の当時東京では最大クラスの多目的ホール。荒井由実のワンマン東京公演としては最後にふさわしい最大規模の公演でした。
・ 当時の楽譜などに使われている司祭のようなものすごい衣装はこのコンサートのもの。ほかにはクリーム色のミニスカート姿でクッションのようなものをたくさん蹴り飛ばしている写真が残っています。ステージセットはとくに大きなものはありませんでしたが、ワイヤー様素材で囲まれた柱状の空間を風船が上下していました。
・ バックバンドはコズミックララバイではなくこれまでスタジオでアルバム制作に携わってきたティン・パン・アレー(細野晴臣、林立夫、鈴木茂、松任谷正隆、斎藤ノブ)が登場。また一見、ユーミンと関わりが少なさそうな意外な人がたくさん登場しています。石川鷹彦は当時からアコギの大家で、吉田拓郎やかぐや姫、イルカといったどちらかというとフォーク系のシンガーソングライターとの関わりが多かったようです。永田一郎は春のツアーでコズミックララバイに飛び入り参加でプロ活動を開始、現在のエルトン永田です。ヒデ夕樹はシンガーソングライターで当時のアニメソングをたくさん歌っていました。また日立グループのCMソング「この木なんの木」も彼による歌唱です。瀬尾一三は現在、中島みゆきのパートナーとしてあまりにも有名ですが、意外にもユーミンの提供曲のアレンジをいくつか手がけています。アルファにも創世記に在籍しておりデビュー前のユーミンがデモを作るサポートをしていたとか。著作「音楽と契約した男」(YAMAHA, 2020)によると当日は冒頭パイプオルガンを演奏した松任谷正隆とステージ上のバンドを繋ぐための指揮も行ったそうです。梅垣達志はシンガーソングライターでCharの「気絶するほど悩ましい」が有名。77年にはユーミンと共作もしています。梅垣ミトはコーラスシンガーとして数多くのレコードに参加しています。ユーミンでは「SURF & SNOW」に参加。
・ 00年初頭までステージプロデューサーを務めた大橋誠仁が舞台監督として初参加。初めてユーミンを見た彼は、世の中にこんなにプロで歌の下手な人がいるんだとびっくりしたが、ファッションセンスがあり、なにより今まで仕事したり観客として観てきた人の中で一番華があった。この人はてっぺんまでいくかもしれない、つきあってみたら面白いかもなと思ったそうです。19年のツアーにも参加したクリエイト大阪のページに大橋氏のインタビューが掲載されており(「舞台監督って?」→「舞台監督にインタビュー」というコーナー内にあります)、このコンサートだけでなく松任谷初期のユーミンコンサートについても語られています。このインタビューを読む限り、大橋氏が舞台監督をしていたのはごく初期のみのようで、ユーミンキャリアの大部分はどんどんエスカレートしてゆく演出実現をお金の面も含め一手に担っていた総制作責任者という感じだったのではないでしょうか。
・ 76年の大晦日にNHK総合テレビで「ヤングフェスティバルショー 荒井由実コンサート」と題して司祭姿の「翳りゆく部屋」をはじめ公演の一部が放送されています。また翌年1月にはNHK FMで90分にわたりほぼ公演の全ての楽曲が放送されました。