MAGICAL PUMPKIN 魔法の南瓜物語
【公演スケジュール】
29会場30公演
1979年
9月18日 群馬県民会館
9月19日 四日市市民ホール
9月20日 岡崎市民会館
10月 4日 奈良県文化会館
10月 5日 神戸国際会館 [1]
10月 6日 岡山市民会館
10月 9日 神奈川県民ホール
10月20日 北海道厚生年金会館 [1]
10月24日 立川市民会館
10月26日 中野サンプラザホール
10月27日 中野サンプラザホール [1]
11月 7日 鹿児島県文化センター
11月 8日 佐世保市民会館 [1]
11月12日 弘前市民会館
11月14日 岩手県民会館
11月15日 八戸市公会堂
11月16日 青森市民会館
11月20日 名古屋市公会堂 [1]
11月26日 秋田県民会館
11月27日 宮城県民会館
12月 4日 平塚市民センター(追加公演 ※[2])
12月 8日 藤沢市民会館
12月12日 姫路市文化センター
12月13日 京都会館第一ホール
12月14日 大阪厚生年金会館大ホール
12月17日 熊本市民会館
12月18日 久留米市民会館 [1]
12月19日 福岡郵便貯金ホール [1]
12月20日 長崎市公会堂
12月25日 渋谷公会堂 [1]
追加公演 7会場7公演 ※[3]
1980年
2月29日 広島郵便貯金ホール
3月 1日 下関市民会館
3月13日 高知県立県民文化ホール [1]
3月14日 高松市民会館
3月15日 和歌山市民会館
3月25日 新潟県民会館
3月26日 長野市民会館
○ 情報はツアープログラムより
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ただし、平塚公演および追加公演は未掲載。 [1] チケット半券を確認 [2] 平塚公演は週刊FM ’79.11/26号に記載、またNHK FM「New Sounds Special」でも公演予定が紹介されています。 [3] 追加公演はFC会報 第7期「ゆうみん」2号より。ただし81年のFC会報「YUMING VOL.5」では5公演だったという記載もあります。 諸々の情報により、広島公演、高知公演、和歌山公演、長野公演は行われたものと思われます。 また、79年9月ごろには下記のような日程も出ていましたが、恐らく上記のとおり行われたものと思われます。 10/30東京厚生年金会館、11/27松山、11/28高知、11/29徳島。
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【演奏曲】
(1部)
あの日にかえりたい
ルージュの伝言
魔法のくすり
青いエアメイル
消灯飛行
ツバメのように
航海日誌
やさしさに包まれたなら
ロッヂで待つクリスマス
CHINESE SOUP
「いちご白書」をもう一度 (弾き語り・提供曲)
リクエスト曲 (弾き語り)
(2部)
Make me a star
Love forever
(ザ・スクエアの演奏)
未来は霧の中に
冷たい雨
恋のスーパー・パラシューター
(EC)
埠頭を渡る風/ESPER (追加公演)
○ 情報は東京FM出版「地球音楽ライブラリー・松任谷由実編」、98年FC発行の資料より
【出演者】
The Square
Drums: 青山純
Bass: 中村裕二
Guitar: 安藤正容
Percussion: 仙波清彦 ('79) / 重田真人 ('80)
Keyboards: 久米大作
Sax & Flute: 伊東毅
他、エキストラで子供たちが登場しました
○ 情報はツアープログラムとFC会報vol.11を参考にしています
Juna Aoyama, Yuji Nakamura, Masahiro Ando, Kiyohiko Semba, Masato Shigeta, Daisaku Kume, Takeshi Itoh
【チケット料金】
中野サンプラザ公演: S席 ¥3,000、A席 ¥2,500、B席 ¥2,000。
【グッズ】
プログラム
【主なクレジット】
Artist: Jun Aoyama, Yuji Nakamura, Masahiro Ando, Kiyohiko Semba, Masato Shigeta, Daisaku Kume, Takeshi Ito
Direction: Shizuka Ijuin
Musical Direction: Yumi Matsutoya
Stage Arrangement: The Square
Staging: Dai Murata
Pantomime Choreography: Mamako Yoneyama
Art Direction: Shintaro Saiki
Lighting Planning: Mitsumasa Hayashi
PA: Bird Planning
Costume Design: Sachiko Ito
Stage Management: Masahito Ohashi, Terunobu Otsuka
Produced by Musical Station, Kirarasha
○ 情報はツアープログラム, FC会報「Yuming」vol.10を参考にしています
【メモ】
・ 79年度2度目のツアー。秋スタートということでハロウィンにひっかけたのかカボチャのオブジェが登場。ツアー中にアルバム「悲しいほどお天気」が発売されますが、とくにこのアルバムにちなんだツアーというわけではなかったようです。
・ オープニングはスクエアの仙波清彦が博士に扮して100年に一度舞い降りるというかぼちゃの物語を紹介してスタート。またコンサート中盤には各地の子供が天使の格好で大勢登場しました(この演出は地方でも可能な限り行われたようで、四日市では中学の合唱部に、弘前では「弘前こども劇場」という劇団ではなく人形劇を見る会に出演依頼が来たとか)。制作費は衣装だけで800万、セットは3,000万をかけドリフのスタッフに作ってもらったそうです。
・ プログラムの表紙や公演告知物に春のOLIVEツアーの象にまたがった写真が使われたため、OLIVEツアーと混同されていることが多いようです。札幌公演では「OLIVE」と書かれたチケットが使われていました^^;。
・ 79年暮れにフジテレビでコンサートの半分ほどを約45分に渡り放送。
・ 12月25日ツアー最終公演のあと、19:00から原宿のラフォーレ6Fで「クリスマス・アイビー・パーティー」が行われました。
・ 「BRIDGE」94年4月号(ロッキングオン)に載ったインタビューによると、長野公演のステージ上で啓示のようなものを受けたそうで、ステージでパフォーマンスすることを「天職だ」と感じたそうです。「もうね………祭礼のようになっちゃうわけ。その時に居たお客さんはラッキーだったかもしれない。会場全体がもう同じ波動になっちゃって共振するような。」。ただこの頃の地方公演は客の入りが悪く、費やしたものが軌道に載らないということで内部の人間関係も上手く行かず、非常に辛い時期だったとのこと。ユーミンは会場ごとに座席数と動員数を貼りだし、ステージから見える空席には人型のようなものを作ってそこにコンセントレーションしていたそうです。そんな中の啓示で、それがなかったら撤退していたかもしれないとのこと。また後に動員数が増えてゆく過程でアルバムのセールスよりもコンサートのリアクションで後の自分の成功を確信できたと語っていました。