ユーミンOlive / 松任谷由実in葉山
【公演スケジュール】
− オリーヴ・ツアー −
22会場24公演
1979年
6月 3日 京都会館第一ホール
6月 4日 大阪・サンケイビル・サンケイホール
6月 5日 大阪・サンケイビル・サンケイホール
6月12日 中野サンプラザホール
6月13日 中野サンプラザホール
6月19日 長岡市立劇場
6月20日 新潟県民会館
6月21日 名古屋市民会館
6月22日 名古屋市民会館
6月25日 和歌山県民文化会館
6月27日 下関市民会館
6月28日 福岡市民会館
6月29日 熊本市民会館
6月30日 島原文化会館
7月 2日 宮崎市民会館
7月 8日 東京厚生年金会館
7月10日 栃木会館
7月12日 岩手県民会館
7月17日 千葉県文化会館
7月19日 宮城県民会館
7月22日 日立小平会館
7月23日 福井市文化会館
7月24日 浜松市民会館
7月30日 厚木文化会館
〇 情報は新譜ジャーナル79年7月号より
− 葉 山 −
1979年
8月28日 葉山マリーナ・エメラルドプール
【演奏曲】
14番目の月 |
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あなただけのもの |
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中央フリーウェイ |
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地中海の感傷 12階のこいびと きっと言える 雨のステイション |
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魔法の鏡 潮風にちぎれて 天気雨 |
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※2 |
ツバメのように 稲妻の少女 帰愁 |
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※1 |
やさしさに包まれたなら 最後の春休み ナビゲイター |
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キャサリン 朝陽の中で微笑んで アフリカへ行きたい |
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(EC) |
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少しだけ片想い さざ波 |
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※3 |
ルージュの伝言
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* は葉山公演での演奏曲。ただし ] 部分は※1※2の順で、※3のあとには「ひこうき雲」が演奏されました。
【出演者】
The Square
Drums: 岡本サミュエル
Bass: 中村裕二
Guitar: 安藤正容
Percussion: 仙波清彦
Keyboards: 小林泉美
Sax & Flute: 伊東毅
〇 「明星」79年9月号、FC会報78号の付録などを参考にしています。
ただし「平凡」79年9月号にはDr:マイケル河合、Key:宮城純子がザ・スクエアのメンバーとして紹介されています。
【チケット料金】
下関公演: 指定席¥3,000、自由席¥2,700。
【グッズ】
プログラム
※ 東京、大阪、名古屋などで「'79 NEW MUSIC SCENE」と題したミュージカルステーションが扱っていたアーティストとの合同プログラムを販売していた模様。
このツアー独自のパンフの販売はなかったと思われる。
【主なクレジット】
Artist: Samuel Okamoto, Yuji Nakamura, Masahiro Ando, Semba Kiyohiko, Izumi Kobayashi, Takeshi Ito
Direction: Shizuka Ijuin, Yoshihiro Kurita
Musical Direction: Masataka Matsutoya, Yumi Matsutoya
Stage Arrangement: The Square
Staging: Dai Murata
Art Direction: Shintaro Saiki, Haruki Takahashi
Lighting Planning: Mitsumasa Hayashi
PA: Kyosuke Hayashi
Stylist: Hiroko Yamauchi
Stage Management: Masahito Ohashi, Terunobu Otsuka, Noboru Watanabe
Produced by Musical Station
○ 情報はミュージカルステーション制作の「'79 NEW MUSIC SCENE」より
【メモ】
・ アルバム「OLIVE」発売に合わせたコンサートツアー。79年は再びステージ活動を活発に始めた年で、秋スタートのマジカルパンプキンと合わせて60公演近くをこなしています。
・ これまでのステージは主にユーミンが演出をしていたようですが、このツアーから数年は当時CMディレクターだった伊集院静を起用、本格的にショウアップしたコンサートが行われるようになっていきます。ユーミンは青色の全身タイツに銀のマントとマスクをかぶって登場。週刊明星79.8号には厚木公演のレポートが載っていますが、途中15歳の男の子がステージに上がってユーミンとお喋りをする一幕もあったとか。
・ ユーミンのリクエストによりバックバンドはザ・スクエアがつとめました。ザ・スクエアはF1の「TRUTH」で非常に有名になりますが、当時は現メンバーでもある安藤正容、伊東毅を中心に本格的に活動し始めたばかり。ちなみに「うる星やつら」などで有名な小林泉美はサポートメンバーだったようですが、スクエアからの誘いを受けながら、パラシュートと高中正義バンドもかけ持っていたとか。メンバーチェンジはありましたが、スクエアとユーミンは翌年3月まで一緒にツアーをまわりました。
・ 中野サンプラザでは本物の象に乗って登場。「文化評論」79年9月号や「週間平凡」79年7月12日号に掲載されたレポートによると、象は初っ端の幕開きに登場、真ん中でお礼をしてはけていっただけだったようですが、一気に非日常的な気分にさせられたと書かれています。また、象はフィナーレにも登場。ユーミンを載せた写真が残っていますが、おそらくこのフィナーレの時のものではないかと思われます。ステージに象を出した話は今も語り継がれていますが、恐らく象の登場は中野サンプラザのみで、大阪公演や厚木公演、東京でもう1か所行われた新宿での公演では無かったようです。「月刊おんきょう」の79年8月号にはこの新宿公演の感想が3名分掲載されていますが、絶賛の声の一方「きょう残念だったのは、まわりがとても静かで、一人でのってしまった感じがして…」「観客がのらなくて、ユーミンがかわいそうだった。いつもコンサートの時思うが、みんなおとなしすぎる。もっと手が痛くなる程拍手しても良いのではないか?ショーが素晴らしいだけに、見る側のマナーが、わりとおなしすぎるのにちと頭にきた!!」という内容も。客が反応しないというのは今では信じられませんが、低迷期に見せるショー的なコンサートというジャンルを創り出そうとしていた苦労が垣間見れますね。
・ セットはポスターなどに使われたオリーブの絵をそのまま大きくしたもの。セットにそのまま「Olive」と書かれているような時代でした(笑)。またこのツアーはタイトルの表記が徹底されておらず、チケットや告知物に「Olive」と書かれることはほとんどありませんでした。ちなみに福岡公演のチケットには「ユーミン・イン・ザ・ワールド」と書かれています。余談ですが、2024年8月16日のテレ東「武田鉄矢の昭和は輝いていた」でゲストの久米小百合(元・久保田早紀)が学生時代ユーミンの「ひこうき雲」を必死にコピーしていたというナレーションのバックにこのツアーのリハーサルをしているユーミンの映像が流れました。真っ黒な練習着でこれまた真っ黒なマントを捌き、飛ばしたマントをまた拾いに行って、・・・みたいな映像で、提供はスポニチクリエイツ/毎日映画社。当時の”スポーツニュース”の映像でしょうか?久米さんのエピソードの背景映像ってだけなのにテレ東すごいもん出してくるなぁと思いました。
・ 8月には前年に引き続き葉山マリーナで野外ライヴが行われました。演奏曲やバックバンド、衣装などはツアーとほぼ同じだったそうなのでいっしょに載せています。
・ テレビ朝日の生中継もはいっており、5曲が放送されました。またMCではスタジオの小林亜星やすぎやまこういちと掛け合うシーンもありました。
・ 公式バイオグラフィでは長年、79年と81年開催のコンサートとの区別が出来ておらず後者が未掲載、FCでは81年の内容が79年のものとして紹介されたりしていました。Vol.13のビニル新聞(グッズ)でVol.2を81年とし、79年はTVイベントということでカウント外としたことが明らかにされ、また00年代に入ってFC会報78号の付録で公演内容が紹介されました。前座はブレッド&バター、司会は吉幾三と榊みちこだったそうです。