シングル売上記録

 

某サイトの集計データを参考に、ユーミンのアルバム売上枚数をグラフ化したものです。青い棒グラフが年間売上枚数、累積値と年間売上に開きがあるものは薄青の棒グラフで累積値を現しています(単位はいずれも万枚)。

赤い折線グラフはその年のTOP50の平均売上枚数、赤破線は年間1位の売上枚数です(単位はいずれも万枚)。

青い折線はTOP50の平均売上に対するユーミンの年間売上がどの程度の割合に当たるかを表し、これを相対比と呼んでいます。1以上であれば平均以上売れたことになります。

時代によってレコード市場の大きさ自体が変わっているので、絶対的な売上枚数ではなく、相対比の推移でユーミンがどの程度売れているの判断しようという試みです。

なお、最上位の売上枚数が時点と50万枚程度空いてるような場合は、そのシングル1枚で平均値が上がってしまうので、これを除外して相対比を計算しています。

データの推移が見やすいことを優先したため、一部のデータは削除あるいは近辺のデータに丸めこんで表示しています。

縮小版

【メモ】

      ユーミンはアルバムの売上に対してシングルの売上が著しく低く、アルバムが毎作相対比1を超え出した80年代ですらシングルの相対比は0.5に満たないものが多いです。

売上相対比1を超えたシングルは40作中「あの日にかえりたい」「守ってあげたい」「ANNIVERSARY」「真夏の夜の夢」「Hello, my friend」「春よ、来い」の5作のみ。
逆にこれ以外は「輪舞曲」を除いて全て0.5以下、0.1以下は40作中18作あります。

      デビュー当初からユーミン自身は雑誌やラジオなどでもそこそこ紹介されており全く無名だったわけではないようですが、初期シングルは100位以内にチャートインできなかったようで記録が残っていません。

      初めてヒットとなったのは75年、TBS系のドラマ主題歌だった「あの日にかえりたい」で、これをきっかけに翌年にかけて旧譜含めアルバム4作の売上が大きく伸びました。

      次のシングル「翳りゆく部屋」がそこそこ売れた物の、結婚と共に低迷期に入ります(この頃はアルバムの相対比も0.6といったところ)。何とかシングルヒットを出そうとしていたのか、キャリアの中で一番シングルの発売スパンが短く、1年のうちに3枚シングルを切っている年もあります。

      2次ブームのきっかけともなったのが81年映画「ねらわれた学園」の主題歌だった「守ってあげたい」でした。この後、アルバムは毎年相対比1以上を売上げユーミンは一気にトップセラーとなっていきますが、シングルはやはり0.4前後にとどまります。

      80年後半から90年前半にかけて社会現象とまで言われたユーミンブームが到来。この時期、アルバム売上の日本新記録を打ち立てていますが、この時期はシングル発売が行われませんでした。

      90年代はドラマやCMとのタイアップで曲が売れる時代で、人気ドラマの主題歌だった「真夏の夜の夢」「Hello, my friend」「春よ、来い」の3枚も大ヒットとなりました。シングルが連続して売れるのは当時キャリア20年を迎えており、アルバム売上やライヴの動員でトップスターの地位を築いていたユーミンにとって初めてのことでした。

      90年代後半、アルバムの売り上げが下がっていくのと同様にシングルの売上も下がってゆき、97年の「告白」以降は相対比0.1前後です。

      近年は配信のみでシングル発売がおこなわれることも多くなっています。